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豊かさは至るところに

コロナ時代の今、世界は根底から変化せざるを得なくなり、様々なものを見せられている。

ィルスは私たちの普段心の奥底にしまっていた思いのかけらを一つ一つすくいあげ、拡大鏡で何倍にも増幅し、目の前に突きつけているかのようだ。

感染への恐れや不安、苛立ち、喪失感、孤立、欠乏感。

人の温もりや思いやり、真の勇気、つながり、愛、本当に大切な物事や人々。

物事には両極があるから、ネガティブなものも、ポジティブなものもある。

問題は、自分がそのどちらに意識を向けるかだ。

友人に借りた本の中に書いてあった、量子力学のイロハ。

理論は知っていたけれど、改めて日々意識すると興味深い。

宇宙には粒子が自由に漂っていて、そこに誰も「観察する者」がいなければ、粒子はそのまま波のように浮遊しているだけ。

でも、ひとたび観察者が目を向けた途端、これらの粒が集まって何らかの形を作る。

つまり簡単に言えば、私たち「見る者」の意識が瞬間ごとに世界を作り出していると言うこと。

観察者の意識が焦点を合わせているものがその人の現実世界となって展開されるから、この宇宙は見る者の意識次第でくるくると変わる、

まるで変幻自在な万華鏡のようなものだ。

それでは、宇宙にどんな世界を見せてもらおうか。

今、私たちの多くが感じていることの一つは、「欠乏感」だろう。

マスクが、消毒液が足りないという不自由さから、経済や仕事への懸念、自由が制限されるという危機感、生存の不安。どれも、根底には足りないことへの恐れが存在する。

でも、この宇宙の本質は、欠乏ではなく、「豊かさ」だ。

豊かさは、充実した時間、人間関係、愛情、ビジネスチャンスなど、その定義は人によってさまざまだ。

私にとっての豊かさの一つを日々、味わせてもらっているのは、畑だ。

ほぼ放任栽培のようなものだけど、大地の豊かさと恵みを体験できる幸せ。

取っても取っても、次々に実をつけるピーマンやミニトマト。

苗やタネを撒いて育てた野菜や花が育つのももちろん嬉しいけど、撒いてもいないものがニョキニョキと芽吹くのは、この上ないボーナス。

トマトが家のダンボール堆肥の土からたくさん生え、畑に移したら普通のトマトになった。

トマトは病気が多いから難しいかなと思っていたイメージを見事に覆してくれた。

こぼれ種から生えてきたシソは肩に届くほどのジャングルになり、ゴーヤも瞬く間にうちのグリーンカーテンのボリュームの数倍になり、里芋の葉っぱは傘になるくらい。

畑の横の藪からは、野生のミョウガがたくさん収穫できた。

ありのままの自然は、本当に豊か。

「欠乏」を信じ込まされている身には、とても良いリハビリになる。

畑からでなくとも、豊かさはあらゆるところに転がっている。

経済的な豊かさ、自然の恵み、自由にできる時間、信頼できる友人家族。

さて、あなたは何に焦点を合わせますか?

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